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きら★びと - 大西康司さん(南海放送株式会社 代表取締役社長)完全版

8 働きがいも経済成長も11 住み続けられるまちづくりを
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記事ID:0030910 更新日:2022年10月28日更新
きら★びと - 大西康司(南海放送株式会社 代表取締役社長)完全版

放送局に入ろうと思ったきっかけを教えてください

中・高校生の時は、マスコミや弁護士の仕事に興味がありました。どちらかと言うと控えめな性格だった私に「あなたはおとなしいから、マスコミのような仕事でいろいろな経験をした方がいい」と言ってくれる人がいて、そこからマスコミの道に進むことにしました。テレビ局か新聞社か、全国区かローカルか悩みましたが、私は長男だったので、当時県内で募集があった当社を就職先に選びました。

入社後配属された部署は、現場ではなくコンピューターを駆使する管理部門でした。希望が叶って番組制作に配属されたのが3年目で、以降20年以上現場一筋でした。

これまでどのような番組に携わってこられましたか​

広く知っていただいているものであれば30年続いている「もぎたてテレビ」ですね。放送開始時のメンバーでした。それまでも地域情報番組はありましたが、それとはちょっと違うものを作りたいと始めたのが「もぎたてテレビ」でした。

通常こういった情報番組では、一つの企業や店舗を「点」として取り上げて放送します。しかしもぎたてテレビでは、例えば「金生川流域の旅」のように「面」で取り上げることで、地域を一つの物語として表現します。取材は泊まり込みで行い、放送する時には町内会と同じぐらいの情報を持っていました。

放送開始当初の視聴率は3%ほどでした。当時消費税率が3%だったことから「消費税視聴率」なんて自虐的に言っていました(笑)。しかし1年後には20%を超えるようになり、喫茶店に行くと隣の席から「今日のもぎたてテレビの内容はあれだったね」「来週はこんなことやるんだって」と聞こえてくるようになりました。

「あぁ自分の作ったものが、みなさんに見てもらえているんだな」と実感したものです。

南海②

キー局とローカル局の違いは、どこにありますか

やはり地域に根差しているところにあります。例えばドキュメンタリー番組を作る場合、キー局に比べて番組に掛けられる予算や人は少ないですが、ローカル局では5年、10年という時間を掛けて取材をすることができます。これがローカル局の強みであり、魅力です。

私もいくつかドキュメンタリー番組を制作しましたが、さりげない日常の中にあるドラマを見つけることができるので、非常に面白かったです。

企画を承認するときの判断基準などはありますか​

理に適ったものであれば企画は承認されます。制作した番組の中には全国放送になるものもあれば、放送されることなく終わってしまうテーマもあります。ですが「やらないうちには話にならない」というのが社風なので、私自身、番組制作をしていた頃は自由にチャレンジさせてもらいました。伝統的にモノ作りが好きな放送局なのです。

失敗談を聞かせてください​

放送に失敗はつきものです。昔は今よりも生放送が多かったので、考えられないようなミスもありました。

ある時、進行表を読み間違えてしまいリハーサルの様子が本番の時間に全国に流れてしまったことがありました。他にも、タイムキープを間違えて途中でコーナーが切れてしまったり、準備していたVTRが流れなかったり…と、冷や汗の連続でした。

これからの放送局の役割についてお聞かせください​

今は誰もが簡単に情報を流すことができます。しかし、私たちは得た情報をすぐに放送することはありません。放送局は「情報のろ過装置」です。さまざまな情報をろ過し、正しい情報を視聴者に届けることが放送局の最大の役割です。効率的でなくとも、お金と人と時間を掛けて内容をチェックします。

また、放送業界にはとても膨大な「放送基準」という規則があります。そこでは、放送してはいけない内容や注意しなければならない表現などが細かく定められていて、社会の変化に合わせた改正や追加がなされています。

テレビ局は正しい情報を、正しい表現で発信しなければなりません。テレビの情報を信用して番組を見てくれる方の信頼を失ってはいけないのです。

私たちは、愛媛の視聴者に選ばれる放送局、無くしてほしくない放送局でありたいと思っています。

貴社が掲げている「愛媛主義」について教えてください​

私が社長に就任したのは2020年6月、コロナ禍の真最中でした。県外での会議や営業活動、取材に行くことができなくなり、社員たちは「私たちが頼るのは、やはり最後は地元の愛媛県しかないんだ。ここで生きていくしかないんだ」と感じるようになりました。

そこで私は「私たちは、愛媛主義。」というキャッチフレーズを打ち出しました。私たちは、愛媛と心中するくらいのつもりで愛媛に密着して役に立ちたい、と訴えたかったのです。

長く応援していただいている書道パフォーマンス甲子園についてお聞かせください

書道は究極の伝統文化だと思います。その書道にパフォーマンスという新しい風を吹かした書道パフォーマンスは、四国中央市で生まれるべくして生まれたものだと思います。

四国中央市は紙産業が盛んな地域だからこそチャレンジ精神のある人が特に多い地域だと思います。こういった環境は一つの大きな財産だと思いますし、子どもたちにいい影響を与えていると思います。だから、チャレンジすることを躊躇わない、その精神を受け継いでいってほしいです。

書道パフォーマンス甲子園のような、市のシンボリックなイベントがこれからも出てくることを願っていますし、お手伝いできることがあれば、是非、と考えています。

「控えめな」性格に変化はありましたか

本質的な部分は変わっていないと思います。普段は几帳面でもなくて、ゆるゆるなんです。ですが取材に行った時は人格が変わります。カメラマンに「もっと前で撮って!」なんて(笑)。

人前に出ることが好きな人が多いと思われがちな放送業界ですが、私のように控えめな性格でも長くやってこられたのは、仕事や経験の蓄積があったからです。人の話を聞く喜び、知らない人と出会い、知らない事象を知る喜びが積み重なって、今の私を形作ったのだと思います。

南海③


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