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真鍋博士 故郷の風景
真鍋博士が育った豊かな故郷の光景などを写真で紹介します。
新宮尋常高等小学校
旧新立村・昭和24年頃
明治8年に「山崎小学校」として熊野神社拝殿に開校し、明治36年に新宮尋常高等小学校となる。大正13年に現在の新宮小・中学校の場所へ移転
小学校時代の真鍋博士
昭和10年代(上から2段目右端)
昭和10年代前半には、教育の軍国色が強まり、防空演習などが実施されていた。昭和20年頃には児童数は300名を超えていたが、教員は10名以下であった。
旧制三島中学校
大正13年
大正9年、県は中学校を東・中・南予に各1校増設することを決めた。東予では宇摩地区が有力となり、三島に中学校を置くことを決めた。
新立村のまちなみ
旧新立村・明治22年頃
交通・商業の中心であった新宮地区、宿家や茶屋が何軒もあった馬立地区、集落が川沿いに連なった新瀬川地区が合併により一つとなった。昭和29年上山村と合併し新宮村、平成16年4月、市町村合併により現在の四国中央市新宮町となった。
新立村役場
旧新立村・明治22年頃
役場は、民家の建屋を借り上げ使用していた。新立村発足と同時に役場位置を決定し、その後上山村と合併するまでの64年間、位置が変わることはなかった。
真鍋博士宅横の道を歩く子どもたち
昭和20年頃
昭和16年4月、新宮尋常高等小学校は新宮国民学校に改称。当時の生徒数は300名を超えていたが、教科書などの物資は不足していた。
現在の真鍋博士宅横の道
新宮町・令和3年10月
現在の周辺の雰囲気は、昭和20年当時と大きく変わっていない。自然に囲まれた閑静な環境に真鍋博士の生家は残っている。
盆踊りに参加した人々
昭和20年代
先祖の霊をまつる日として、盆棚を作り、水・団子・野菜・果物などを備える集落、紙灯籠に1か月火を灯す集落など、集落ごとにさまざまな行事が行われた。