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春、別れの季節でもある
今日は日曜日。午後市役所に出てきてパソコンを打っていたら、日差しが西日になって暖かくなるほど強くなってきた。北の大雪で苦労されているみなさんには申し訳ないほどである。
節分が過ぎ、もう少しで桃の花の開花の便りが聞こえそうな季節になってきた。人間、けじめをつけなければならない時もある。喜びも悲しみも微笑みとさみしさが入りまじり、なんとも心が満杯になり危うい時期でもある。
人が生きていく中で、期待と不安をいっぱい引きずりながら、どちらを向けばいいのやら分からないときがある。みんなそうして、青春という時期を通り過ぎていく。振り返ると、俯いてならぼそぼそしゃべることは出来ても、面と向かったらうなるようなことばかりだな。あと少し残っている米櫃に気合いを入れて頑張ろう。
野球で最後に登板して試合を締めくくる役目のピッチャーを「クローザー」と呼ぶ。重要で重い任務を背負った仕事である。格好はいいが大変である。たった一球投げたボールでその試合の勝敗が決してしまうことが多々ある。3時間あまりのナインの想いが凝縮されている。みんなの努力を背中に背負っているのである。人生、時にはそうした場面に出くわせることもある。
そう言いながら春が、少しずつ肌で感じることができるように近づいてきた。
私の引退もすぐそこである。
令和7年3月1日
四国中央市長 篠原 実