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令和7年9月 逆風満帆!

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記事ID:0052372 更新日:2025年8月1日更新

二十二歳の遺書


 我が家に遺された辞世の一筆は、父・泰三の長兄・大西明が戦地へ赴く前夜、東京都板橋区に住む大叔父の大西観市に託した22歳の遺書で、昭和19年4月8日消印の速達で川之江に届いた。

 「桜花爛漫を競ふ候となりました。卒業以来待ちにまった赴任も眼前に迫り内地最後の便りの筆を取ります。回顧せば二十有余年伊予名もなき一町に何の不自由も知らず温き父母の懐に育てられた自分も今は国家の干城として勇躍南の決戦場に臨むことが出来ます」から始まる654文字の達筆である。

 この後、明は陸軍航空隊・第21飛行場大隊の下土官として、船は危険だから…と上官を乗せて安全策を採ったはずの輸送機が台湾に墜ちて4月11日に殉じた。

 明が全幅の信頼を寄せた観市翁は、地元有志と共に戦前戦後の機械抄製紙の振興を支え、(株)丸井製紙工場の初代社長を務めた後、戦時中は日本和紙統制(株)の代表などを歴任し、戦後には川之江町長も務めた人である。製紙業界の重鎮から、その事を肝に銘じて産業振興に励むよう小職も薫陶を受けた。観市翁のように仕事を通じて故郷に貢献できる人間になりたい!そんな明の遺志が泰三の体を突き抜けて小職の心に突き刺さっている。

 お盆も近い8月10日、明の生誕日の前日に、ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の松浦秀人氏の講演を拝聴する機会に恵まれた。胎内被爆者として核兵器廃絶を世界に訴える運動に、人生の大半を捧げてきた氏の熱弁に共感し「二度と戦争を起こさない」という思いを市民・国民の総意としなければならないと再確認した。

 明の遺書は、小学生の泰三に宛てた次の一節で締めくくっている。

 「元気デマイニチ勉強シテイルダラウ兄サンモ強イ兵隊ニナッテ敵兵ヲヤッツケルタメニ南ノ方へ行ク姉サン達ト仲ヨクシ弟ヲカハイガリ強イ子供ニナリオ父サンオ母サン二孝行セヨ」こんな戦争を二度と起こしてはいけない!とは言えない中での渾身の一筆である。

 いつのことかは覚えていないが、思春期に出逢った明の22歳の遺言が、小職の人生を大きく左右したことは間違いない。

令和7年9月1日

四国中央市長 大西 賢治