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土づくりへの思い
百姓の端くれの家に生まれながら、ほとんど農業のようなことができていない…小学校の頃、定規の前に並んで田植えの列に加わり、稔った稲を鎌で刈って藁で束ね、一輪車に山積みで運んで稲架木に架ける取り次ぎをし、最後に落穂拾いをした。その思い出も遥か半世紀前のことである。
市役所を辞めた年に畑に植えたレモンや晩柑なども、手入れどころか、少し生り始めた実を収穫することすらままならないという情けない日々を過ごしている。
また、わずかに残された田んぼも、中古のトラクターに乗り、ご近所に迷惑をかけないように、雑草の生命力を恨めしくも思いながら、収穫の無い耕うんを繰り返すのが精一杯という年を重ねている。
夕暮れ時の田んぼで、トラクターが直進している間にいろんな事に思いを巡らせるが、あるとき、「土づくり」という言葉が頭をよぎった。この耕作放棄地で再び何か収穫を求めようとするとき、どんな土づくりが必要なんだろう…素人には全く想像がつかない。
有機物である堆肥を鋤き込み、石灰で酸度を調節するなど、通気を図る物理性、栄養を含ませる化学性、微生物を意識した生物性などのバランスを整えるのが土づくりであろうが、作付けのために何を用意してどうすればいいのか?具体的なイメージが湧かない。
一方で、昨年末から、令和8年度の市政運営で、少しでも多くの実を生らすことができるよう、市役所というフィールドの土づくりに頭を悩ませながらも精を出している。こちらは、弱音を吐いて背を向けることができない。
市議会のご理解も戴き、組織・機構という器の形は概ね整えることができた。そこに適材適所を追求しながら職員を貼り付け、ビジョンやスピリッツを示しながらミッションを説いていく。組織の風通しは?職員のモチベーションは?より効果的な予算組みは…?
初めての土づくりと作付けも、いよいよ大詰めに差し掛かる。
令和8年3月1日
四国中央市長 大西 賢治
