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城山公園 姫ヶ嶽の紹介
姫ケ嶽(ひめがたけ)
【解説】
1582年(今から約440年前)6月10日(日曜日)、川之江城主の川上但馬守(かわかみたじまのかみ)が三島神社(ここから西へ約4.5キロメートル)へお参りした帰りに、村松町(ここから西へ約3キロメートル)で家来の裏切りにより殺され、その後、川之江城に攻め込まれました。父が殺されたことを知った年姫(としひめ)は、無念の死を遂げた父を追って馬に乗り、この崖から海に飛び込み、さみしくも美しい姫としての人生が終わりました。
年姫の遺体は、香川県観音寺市豊浜町(ここから東へ約10キロメートル)に流れ着き、地元の人たちが手厚く葬りました。
そして、年姫がたどり着いたその浜を「姫浜」と呼び、飛び込んだこの崖を「姫ヶ嶽」と呼ぶようになったと言われています。
歌人の与謝野晶子(よさのあきこ)が昭和6年(1931年)11月1日に城山を訪れ、年姫が姫ヶ嶽から飛び降りた悲しい話を聞き、次のように歌を詠(よ)みました。
姫ヶ嶽 海に身投ぐる いや果ても
うまして入りぬ 大名の娘(こ)は
与謝野晶子<外部リンク>(近代日本人の肖像:国立国会図書館)
戦前の姫ケ嶽
現在の姫ヶ嶽