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日本一の書道用紙のまち 四国中央市
平成16年の発足以来、“日本一の紙のまち”でありつづけている四国中央市。
また、書道用紙の生産量は全国シェアの7割を占めると言われており、“日本一の書道用紙のまち”でもあります。
その背景には、先人たちの尽力によって築き上げられてきた、確かな歴史があります。
“紙のまち”のはじまり
この地域で、紙づくりが始まったのは宝暦年間(1751年~1763年)の頃と伝えられています。
当初は数戸が嶺南の奥地の山谷で自生の楮や三椏を原料に漉いていたものでしたが、それが里に伝わり、農家の農閑期の副業として普及し始めると、地場産業として奨励されるようになり、慶応から明治にかけて、大きく発展することとなりました。
手漉き から 機械抄き へ
宝暦年間に始まった四国中央市の紙づくりは、手漉き事業所が戸数750軒を数えた明治末期の“手漉き和紙黄金時代”を経て、その主流が徐々に機械抄き製紙へ変わる中、1950年代からの需要拡大に伴う企業の大型化と新規参入の増大が起こります。1954年には、悲願であった銅山川疎水事業である柳瀬ダムが完成し、“紙の命”である豊富な工業用水も確保されました。あわせて、原料や薬品を扱う商社や製紙機械メーカーなどの集積、原料や製品運搬に大きな役割を果たす重要港湾である三島川之江港の整備など、総合的な補完体制が整うことで、“日本一の紙のまち”としての基盤整備がさらに進むこととなります。
“紙のまち”、“書道用紙のまち”としての隆盛
四国中央市の紙産業における製造品出荷額は、しめて約5,100億円を超えます(2022年「経済構造実態調査(製造業事業所調査)」による)。その主な製品別全国シェアを見てみると、新聞巻取紙は25%、塗工印刷用紙は17%、衛生用紙は15%などと、いずれも高い数値で推移しており、平成16年の合併による四国中央市の誕生以来、自治体単位では18年連続で“日本一の紙のまち”の座を堅持していることを裏付けています。
製造品出荷額と粗付加価値額(2022年調査に基づく2021年実績)
順位 | 市区町村名 |
製造品出荷額等 |
粗付加価値額 (単位:万円) |
---|---|---|---|
1 | 四国中央市 | 51,087,759 | 18,249,843 |
2 | 富士市 | 49,470,591 | 17,280,125 |
3 | 新潟市 | 11,530,795 | 2,979,918 |
4 | 春日井市 | 10,664,422 | 2,189,923 |
5 | 八潮市 | 9,436,885 | 4,338,406 |
※このデータは、総務省及び経済産業省より公表された「2022 年経済構造実態調査(製造業事業所調査)」 をもとに独自にまとめたものです。
これからの“紙のまち”
現在、ペーパーレス化によるグリーントランスフォーメーションの動きなど、紙をとりまく情勢は大きく変わろうとしています。紙の新たな市場開拓や事業展開のため、愛媛県産業技術研究所紙産業技術センターや愛媛大学紙産業イノベーションセンターを中心とした、四国中央市にしかできない連携体制による研究・開発を行うなど、“日本一の紙のまち”としての新たな在り方を模索し続けています。
(参考文献 「紙と文化のくに 四国中央」四国中央紙産業振興協議会 2014年刊)
“書道用紙のまち”を支える事業所の方々
書道用紙全国シェア7割を超えると言われる生産を現在も支えている、市内の事業所のみなさんをご紹介します!